MIDNIGHT HERO

デラシネのブログ。明日へむかって。

ブログで短編小説を。襟裳岬。吉田拓郎、岡本おさみ。

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襟裳岬             

耳をすますと、鳴きしだく風の音が聞こえる。

時にあらあらしく、時にやさしい、海岸線に打ちよせる波濤のさざめきも。

日々刻刻と、空と海が一体となり、大地の先端を色とりどりに染めあげる。

私は、それらの風景の一部と化し、無機質な物体となって、北の大地を歩いた。

 

岬に近い宿で、私とその男は偶然、同部屋になった。

今どき、六畳ほどの古ぼけた和室に、赤の他人と同部屋で客を泊める旅館など、そう多くはないだろうが、旅に暮らす私には、めずらしくもないことだった。

 

太宰治の「津軽」は、こう始まる。

「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ。」

 

私もまた、このような感慨とともに、俗世間との交わりを断ち、旅暮らしを始めた。

それまで、ラジオ局の構成作家や音楽制作の末端で職を得、糊口をしのいで来たのだが、私の性分か、それまでの暮らしをほとんど放擲してしまったのである。

 

だが、まったく収入も無く、このような暮らしが続けられる筈もない。

ラジオ局の構成作家をしていたとき知り合った歌い手に、それまで書きためておいた詩の数編を提供したところ、詩に曲をつけた歌い手の歌が大いに売れた。

それからの私は、旅の途中から、書きためた詩をその歌い手に送り、それで生活の資を得ることができるようになった。

 

宿に入ると、陽は見る間に落ちた。

人里離れた宿所ではあるが、薄い障子に仕切られた隣部屋にも、大勢客がつめ込まれている様子で、中居のおばさんと主人らしい老女が、階段を昇り降りしながら、慌ただしく夕食の御膳を運んで行く様子が見える。

こんな人里離れた宿屋にも、日々の暮らしのための、差し迫った営みがあるのだ。

私は、ひとに課せられた業の深さ、やるせなさに、また一つ、ため息をついた。

 

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同部屋の男は、相当着古したようなジャケットのまま、部屋の片隅にうずくまっていた。

年格好は、私とさほどの開きはない様子である。

私同様、連れはなく、荷物は小さめのボストンバッグひとつで、ジャケットの下には白のワイシャツを着て、物見遊山の出立ちには見えない。

表情がどこか虚ろで、視点が定まっていないかのようだ。

だが、私はこの見ず知らずの男に、なにか親近感のようなものを感じた。

 

夕食が、私の部屋にも配膳された。

「どうです、ご一緒しませんか」

人嫌いの私が、男に声をかけた。

「はぁ、それでは遠慮なく」

とは言ったものの、男の物腰は低かった。

私のやや斜め前に膳を近づけただけで、食事を始めた。

 

「どうですか、お酒でも」

私は、固まったような場の雰囲気を変えたくて、そう言った。

「そういける口ではありませんので、どうぞ、おやりになってください」

男はそう応じただけだった。

「そうですか。では少しやらせていただきます」 

私は、通りすがりの中居のおばさんに向かって、

「おばさん、お酒ください」

と声をかけた。

はーい、と嗄れた返事が聞こえた。

 

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「どうですか、一杯だけでも」

私は、社交儀礼を好まない。

だが、この男の鬱屈した何物かが、私にそう言わせた。

「では、一杯だけ」

男は、私の注ぐ杯を受けた。

 

その夜、私はとつとつと話し始めた男の境遇を知った。

男は、笹岡と名乗る、商社に勤める会社員だった。

人と接することが苦手で、商社マンには向いていないと思いつつも、持ち前の生真面目さで、ひたすら仕事に打ちこんできた。

あるとき、会社の上層部に、違法な汚れ仕事を押し付けられた。

それでも仕事を失うわけにもいかず、妻子のために、やり遂げるしかなかった。

だが、その後も良心の呵責に耐えかね、身体が悲鳴を上げた。

心を病み、仕事を休むことになった。

休職が長引くうち、会社はクビになり、妻子は出て行った。

 

ひとは、なぜこうまでして、生きていかねばならないのか?

男は、すべての弱き人びとの苦悩を、ひとり抱えこんだ。

通帳に残ったあり金をポケットに詰め、あてのない旅に出た。

このような男に、孤独はむしろ害悪であった。

 

話は、深更に及んだ。

「あなたに、こんな打ち明け話をするつもりはありませんでした。だが、こう同じ時間を過ごしているうちに、あなたなら大丈夫のような気がした」

男はささやくような声で言った。

寝静まった隣室が、気になるのである。

「私も似たようなものですよ。それでなきゃ、こんな旅暮らしをしてはいない」

私は応えた。

「笹岡さん。世捨人の生活は、私が少し先輩らしいが、あなたはなにも、私の真似をする必要はない。これからどうなされようと、あなたの道を歩けばいい」

沈黙の時間が流れた。

男は、それきり、なにも話さなかった。

部屋の障子の隙間から、白白と朝日が差しこんで来た。

 

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幾年月が流れたろう。

私は、あいも変わらず、年の半分以上を旅をして暮らしていた。

自宅というのは名ばかりの、あばら家を持ってはいたが、座布団を温める間もなく、私は更なる旅の郷愁へと誘われるのであった。

けれども、時には東京の片隅にある陋屋にこもって、義理ある人に頼まれた、文筆の業に専心する事もある。

そんなある日のこと、私の家の玄関に、その男は立っていた。

紛れもない、笹岡だった。

 

まだ肌寒い春の風が、扉の隙間から吹き込んでいる。

「やっとお会いできましたよ」

笹岡は、笑っていた。

初めて見る、男の笑顔だった。

私は、坐る場所もないほど散らかった書斎から、ほとんど使っていない客間に客を通した。

「やあ、お久しぶりだ。どのくらいになるかね」

私は電気ケトルでお湯を沸かしながら、そう言った。

「何度かお訪ねしたんですが、お留守でね。四回目でようやくですよ」

「それはすまない事をした」

「いえいえ。秋本さんの旅好きは、わかっている事ですから」

 

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お湯が沸いた。

「コーヒーにしましょうかね」

と私が言うと、

「そうですね。あの日以来です」

また、笹岡は笑みを浮かべた。

あの日、旅館を出たあと、駅前の土産物屋で、コーヒーを飲んだのである。 

 

「いや、驚きましたよ」

笹岡は言った。

「なにがです?」

「あのとき、詩を書くお仕事だとは伺っていましたが、かほどにご高名な方だとは存ぜずに、まったく失礼しました」

「だから気が合ったのでしょう。虚名に踊らされる身には、ありがたい事だった」

それは、私の本心だった。

「おかげで、私はまた、生きる気になれたのです」

笹岡は、そう言って、うつむいた。

こみ上げるものを、抑えきれない様子だった。

 

私たちは、テーブルを挟んで、昔語りを続けた。

やがて、私は彼が新しい妻を持ち、地道に暮らしていることを知った。 

テーブルには、二杯目のコーヒーが淹れてある。

「冷める前に、飲みましょう。うちは寒いから」

私が促すと、彼は照れくさそうだった。

角砂糖がひとつ、ティーカップの皿に乗っていた。

 

 (岡本おさみ「旅に唄あり」より。)

旅に唄あり (1977年)

旅に唄あり (1977年)

 

襟裳岬  吉田拓郎

襟裳岬

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