MIDNIGHT HERO

デラシネのブログ。明日へむかって。

昭和の名曲とカバーバージョン特集。吉田拓郎の大いなる影響について。

本日は、昭和の名曲とカバーバージョン特集と題してお送りします。

それでは1曲目。

よろしく哀愁       吉田拓郎

よろしく哀愁の歌詞

郷ひろみ  オリジナルヴァージョンはこちら。

よろしく哀愁

よろしく哀愁

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ぷらいべえと(紙ジャケット仕様)

ぷらいべえと(紙ジャケット仕様)

これは、オリジナル・郷ひろみだが、吉田拓郎のカバーが素晴らしい。

この曲が収録された、1977年リリースの「ぷらいべいと」というアルバムは、カバーアルバムの先駆けとして、画期的なものだった。

歌い手が持ち歌以外の人の曲を歌う、すなわちカバー。

今では誰もがやっている事を、既存の演歌や歌謡曲の歌手ではない、オリジナリティを信条とする日本のフォーク・ロック系のミュージシャンが手掛けるのは、当時、異例中の異例だった。

吉田拓郎は、日本のポピュラーミュージックの歴史の中で、いろんな垣根やら境界線やらを壊している。

フォークはメッセージでなくてはならないという掟を「結婚しようよ」で破り、爆発的に売れている歌手なら当たり前の、テレビ出演を拒否するという道無き道を選び、フォークの対極にあるはずの商業主義の歌謡曲の歌い手に自身のオリジナル曲を提供し、今度はフォーク系のアーティストはオリジナルしか歌ってはならない、という壁を壊した。

このアルバム制作の実情は、拓郎のほか、井上陽水泉谷しげる小室等のアーティスト4人で立ち上げたレコード会社、フォーライフの経営危機を何とか立て直そうという、売れるなら何でもやろう的なものだったらしいが、そういうドサクサ紛れのときこそ、良いものが生まれる事があるという、よい見本だろう。

坂口安吾がこんな事を書いている。

モーツァルトの作品は、殆どすべて世間の愚劣な偶然な或ひは不正な要求に応じてあわたゞしい心労のうちになつたもので、予め目的を定め計画を案じて作品に熟慮専念するやうな時間はなかつたが、モーツァルトは不平もこぼさず、不正な要求に応じて大芸術を残した。

天才は外的偶然を内的必然と観ずる能力が具はつてゐるものだ、と言ふ。それはモーツァルトには限らない。チェーホフの戯曲も不正な要求に応じて数日にして作られ、近松の戯曲もさうだ。

ドストエフスキーも借金に追はれて馬車馬の如く書きまくり、読者の嗜好に応じてスタヴローギンの歩き道まで変へて行くといふ己れを捨てた凝り方だ。いかにも外的偶然を内的必然と化す能力が天才の作品を生かすものだ。

教祖の文学」より。

もうひとつ、このアルバムの特徴は、セルフカバーが多かったという事で、Wikipediaによれば、拓郎はアルバムコンセプトとして、ボブ・ディランの「セルフ・ポートレート」そのままに、自作曲及び自身の愛唱歌で編成したという。

自分の曲が多いという事が、カバーアルバムを制作する事への抵抗感を薄めた、と言えるだろう。本当は、拓郎自身が最もやりたくなかった「やっつけ仕事」であったが、皮肉にもカバーアルバム史上初のオリコン1位を獲得し、会社の立て直しにも大きく貢献するという結果になった。

「赤い燈台」「ああ青春」「いつか街で会ったなら」などは、今でも私の中のスタンダードナンバーである。

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教祖の文学

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次の曲。

しあわせ芝居         桜田淳子

しあわせ芝居 歌詞

しあわせ芝居

しあわせ芝居

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しあわせ芝居

しあわせ芝居

吉田拓郎を知ってから今日までつくづく思うのは、名は体を表わす、という言葉だ。

拓郎、すなわち歴史を切り拓く男、という名を、ご両親はよく付けたと思う。

カバーアルバムの先駆的仕事は、「ぷらいべいと」の翌年リリースされた甲斐よしひろの初ソロアルバム「翼あるもの」に受け継がれる。

甲斐バンドの曲「翼あるもの」とは違い、こちらはアルバムタイトルなのでお間違いなく。)

そして、歌謡界に楽曲を提供する流れは、中島みゆきが受け継いでゆく。

研ナオコ桜田淳子ちあきなおみ小柳ルミ子柏原芳恵工藤静香など、多くのシンガーの詞や曲を手掛け、提供という副業的なイメージから、よりプロデューサー的な感覚へと近づいてゆく。

桜田淳子の場合、この「しあわせ芝居」追いかけてヨコハマは、アイドル路線を脱皮しつつある、大人びたイメージを模索していた彼女の歌唱にジャストフィットした。

この2曲に関して言えば、中島みゆきのセルフカバー(「おかえりなさい」収録)よりも、断然、桜田淳子の方が優っている。

これは裏を返せば、みゆきのプロデュース力、この歌い手にはどんな曲がふさわしいかを見極めたうえで楽曲提供を行う、抜群のセンスを証明している。

のちに、桜田淳子中島みゆきの4th アルバム「愛しているといってくれ」収録の「化粧」をカバーしてシングルで出すが、オリジナルは大失恋の咽び泣き混じりのみゆき節が入る名曲で、桜田淳子が歌いこなす以前の問題で、みゆきのヴォーカリストとしての格の違いを見せつけた。

しあわせ芝居(リマスター)

しあわせ芝居(リマスター)

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化粧(リマスター)

化粧(リマスター)

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翼あるもの(+1)

翼あるもの / 甲斐よしひろ  ソロアルバム( Amazon)

カバーしたアーティストは、キングトーンズ、THE MODS森山達也ザ・ピーナッツかまやつひろし早川義夫ザ・ジャガーズ浜田省吾ザ・フォーク・クルセダーズ憂歌団と、甲斐好みの曲が並ぶ。甲斐のオリジナルは1曲のみ。(「薔薇色の人生」)

リズム、テンポ、アレンジと、オリジナルとはまったく別の曲のごとく甲斐流に仕上げた、カバーアルバムの先駆的傑作。ファンでなくとも必聴の名盤。

次の曲。

別離の黄昏      研ナオコ

「別離(わかれ)の黄昏」 歌詞

別離の黄昏

別離の黄昏

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別離の黄昏

別離の黄昏

これは、甲斐よしひろ研ナオコに書き下ろした曲。

「私はタフな女」という日テレの研ナオコ主演ドラマの主題歌だった。

甲斐のセルフカバーもあるが、研ナオコが余りに上手い。

甲斐が人に楽曲提供した曲はさほど多くないが、これは研ナオコのヴォーカルの魅力を、最大限に引き出した名曲だ。 

甲斐よしひろ中島みゆき、この二人は吉田拓郎をレスペクトした次世代のトップランナーであり、 二人のファンである後続の世代にも、拓郎の影響力の大きさを強烈に印象づけた。

奇しくも研ナオコは、この3人すべてからシングル曲の提供を受けている。

中島みゆきは、学生の頃から拓郎のファンであった事で知られ、拓郎がソングライティングに行き詰まりを感じていたとき、「永遠の嘘をついてくれ」を拓郎のために書いているし、甲斐よしひろも自身がパーソナリティを務める「サウンドストリート」で拓郎との親交をちょくちょく話題にし、レスペクトを口にしていた。

永遠の嘘をついてくれ

永遠の嘘をついてくれ

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甲斐とみゆきは、若い頃、新宿ゴールデン街での飲み仲間で、二人して舗道の真ん中で酒を酌み交わしていても、誰も気づかなかったというエピソードがあり、これは甲斐が番組で話していたと記憶する。

のちに甲斐は、中島みゆきのオリジナルアルバム『36.5℃』をプロデュースした。

甲斐が他人のアルバムをプロデュースしたのは、これっきりだ。

拓郎も甲斐とみゆきには特別な親しみを持って接した。

みゆきが「生きていてもいいですか」という7th アルバムを出したときには、その過激な怨み歌、厭世的な歌を評して、この女は何処へ行ってしまうのだろうと、自身の番組で本気で心配していた。

しかし、みゆきはそのあとの「臨月」というアルバムで、晩年の松尾芭蕉が到達した「軽み」の境地を想起させるような、シニカルな情念を日常の風景に託して軽やかに歌う作風に転じ、ファンを安堵させた。

そのアルバムからシングルカットされた「一人上手」が「わかれうた」以来のトップ10入りを果たし、翌年リリースした「悪女」の大ヒット(オリコン1位)へと繋がってゆく。

思うに、みゆきはそれまで振り切れなかった、ありったけの女の情念を、前作で昇華させる事が出来たのだろう。

 この三人は、自分のラジオ番組で相互の曲を流し、それぞれの番組にゲスト出演し、甲斐とみゆきは甲斐バンド解散のとき黒澤スタジオで、拓郎とみゆきは2006年のつま恋で、ライブでの共演も果たしている。

また、甲斐と拓郎には意外な接点があって、両者の現夫人、竹田かほりと森下愛子は親友同士であったという事だ。

ファンの方には、ほとんどが周知の事実であったかもしれないが、このトライアングルは、私の好きな音楽の嗜好をほぼ決定づけて、今日に至っている。

ホームカミング

ホームカミング / 甲斐よしひろ    Amazon 

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終着駅        奥村チヨ

終着駅 - 奥村チヨ - 歌詞

終着駅

終着駅

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終着駅

終着駅

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終着駅

終着駅

この曲は、たくさんの人にカバーされている、スタンダードナンバー。

八代亜紀の「舟唄」や北原ミレイの「石狩挽歌」で有名な、浜圭介の曲。

中森明菜一青窈のカバーもいいけれども、奥村チヨのオリジナルは、いかにも昭和の歌謡曲という感じで、飾り気のある歌唱がいいね。

タイムトラベル      原田真二 

タイムトラベルの歌詞 | 原田真二

これは、最近 スピッツがカバーして注目を集めた。

タイム・トラベル

タイム・トラベル

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タイム・トラベル

タイム・トラベル

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原田真二は、フォーライフレコード社長時代の吉田拓郎が、最も肩入れしてプロデュースし、デビューさせたミュージシャンだ。

1977年10月のデビューから 3ヶ月連続リリースしたシングル3曲(「てぃーんず・ぶるーす」「キャンディ」「シャドーボクサー」)が同時に20位以内にチャートインし、第4弾シングルのこの曲も自身最大のヒットとなった。

10代で発表したファーストアルバム「Feel Happy 」は、オリコン1位を4週連続で記録した。

ミュージシャン自身が他のアーティストをプロデュースする先鞭として、最初に成功を収めたのも、やはり拓郎だった。

初めの頃は、かまやつひろしの「我が良き友よ」やキャンディーズの「やさしい悪魔」「アン・ドゥ・トロワ」、川村ゆうこの「風になりたい」など単発的だったが、原田真二に関しては、オーディションで自ら見出し、「シャドーボクサー」のコーラスにまで参加するという熱の入れ方だった。

原田真二の登場は、世良公則&ツイスト、Char と共にロック御三家と呼ばれ、ロックのメジャー化を一気に加速させた。

Feel Happy 2007 Debut 30th Anniversary

Feel Happy 2007 Debut 30th Anniversary

 

原田真二のデビューとほぼ同時期に、チャート番組ザ・ベストテンが開始される。

本来、ラジオのスタイルであったヒットチャート番組を、テレビに持ってくるという趣向は、見事に当たった。

ヒットを飛ばしてもテレビの歌番組には出なかった、フォーク・ロック系のアーティストたちの、テレビに出るか出ないかの動向が、ある種のニュース性を帯び、一気に注目を浴びるようになったのだった。

ザ・ベストテン」は、レコード売上や有線放送のリクエスト回数などを総合した点数制のランキング方式による番組という付加価値を付け、どんな場所へも追っかけて生中継するという手法で、意図的にお茶の間での露出が無いアーティストにも出演交渉を行い、最も旬なアーティストや曲を紹介するとともに、それまでテレビでは見られなかったアーティストを数多く出演させる事に成功した。

また、出演交渉中だが、出演してもらえなかったという言い訳さえも、期待と注目を集めるエレメントとして利用した。

新人アーティストや無名バンドなどは、売り出しの戦略として、この番組を利用した。サザンオールスターズや、世良公則&ツイスト、ゴダイゴなどがその代表格である。

原田真二は、プロデュースした吉田拓郎が、積極的にテレビ出演をさせる方針を取ったため、ザ・ベストテンに初めて出演したロック系ミュージシャンとなった。

拓郎は、自身が生み出したフォーク・ロック系アーティストはテレビに出ない、という流れを、自らプロデュースした原田によって断ち切ったのだった。

ウレセンとなったフォーク・ロック系の音楽は、この頃、ニューミュージックと呼ばれるようになった。

甲斐バンド「HERO」が世に出たのは、そういうタイミングだった。

TBS の「ザ・ベストテン」側のたび重なる出演依頼に対し、甲斐サイドは、1回切りの出演、司会の黒柳徹子久米宏と話をしない、自分たちのテリトリーでライブをやる、という条件を付ける。

そして「甲斐バンド出演」と新聞のテレビ欄に出て放送されたのが、NHK-FM甲斐よしひろサウンドストリート(「若いこだま」からの通算)1周年記念ライブ」だった。

場所はもちろん、NHK のスタジオ。

サウンドストリートの公開録音ライブに、TBS のカメラが入る、というシチュエーションが、出演交渉を経て合意を得た最終形であった。

生放送中、甲斐が「今日は二元中継だからね」と言ったのは、そういう意味だ。

この続きは、私の過去記事をご覧あれ。

次の曲。これは皆さんご存知だろう。

翳りゆく部屋        エレファントカシマシ

翳りゆく部屋の歌詞

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翳りゆく部屋

翳りゆく部屋

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松任谷由実40周年記念ベストアルバム 日本の恋と、ユーミンと。 (通常盤)

松任谷由実40周年記念ベストアルバム 日本の恋と、ユーミンと。 (通常盤)

 

昔、エレカシが、拓郎と KinKi Kids がMC を務めるフジテレビの「LOVE LOVE 愛してる」に出演したとき、カバーを歌うコーナーで、宮本浩次は「青春時代」(森田公一とトップギャラン)を歌っていた。

曲調は違うが、一音を長く引っ張る歌唱法が この曲と似通っていて、宮本の歌の好みを感じさせる。

この曲も徳永英明をはじめ、たくさんの人がカバーしている荒井由実 時代の名曲。

エレカシといえば代表曲は「今宵の月のように」だが、この曲を甲斐よしひろがカバーし、「10 Stories」というカバーアルバムの1曲目に入れている。

これは2007年リリースで、私がさほど音楽を聴いていない時期に当たっていた。

私が甲斐の動向にもほとんど知識が無い頃である。

ところが、収録曲を見ると、ズラリと私好みの歌やアーティストが並んでいて、苦笑を禁じ得なかった。

私にとっては、甲斐の音楽の嗜好が、私の体内のDNA として組み込まれている事をあらためて再認識させられる出来事だった。

それでは、最後の曲。

郷ひろみで始まり、トリは野口五郎で終わるという趣向です。

これは、甲斐よしひろの伝説的カバー。

甘い生活      甲斐よしひろ

甘い生活 - 野口五郎 - 歌詞


こちらが野口五郎のオリジナル。

甲斐よしひろの動画は、 1979年、サウンドストリート・カラオケ大会パート2の音源。

若さゆえの、甘くセクシーなハスキーヴォイスが、何とも言えないオーラを発して聴き手を虜にする。

サウンドストリートのリスナーは、この当時の甲斐の声を聞くだけでも、十分に魅了されていたのだと思う。

野口五郎は、郷ひろみ西城秀樹との新・御三家の中で、最も中性的でなよなよしたイメージがあっただけに、甲斐のカバーがこれだけハマるとは、思ってもみなかった。

甘い生活

甘い生活

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本日は、昭和の名曲とカバーバージョン特集をお送りしました。

それでは、お休みなさい。

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